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コラム ~ 高山文彦

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2013年09月06日

9月以降の運転について思うこと

9月以降の運行について思うこと

   高千穂あまてらす鉄道株式会社代表取締役社長 髙山文彦



 9月の運行については、すでにお知らせしたとおりです。

 敷地管理者である高千穂町との協議の結果、9月には二度ある3連休のみ、高千穂鉄橋越え往復運行を認めるということ。

 高千穂町側の管理責任の重さが、このような一見弱腰にも見える方式を生みだしました。

 私たちは当然、連日の運行をめざしておりましたが、鉄橋の補強ができないまま連日運行することは安全第一を旨とする町としてはどうしても控えるべきとの判断に至ったわけです。

 現状のままでの運行に、それほど支障はないことはすでに調査の結果からも明らかなのですが、夏休み中の実証実験にたくさんのお客様に来て下さり、喜んでいただけた。
アンケート調査の結果も「続行」を願う方々がほとんどでした。これほどの期待を集めることができた実績が、むしろ管理責任者としての町の責任感をより重くさせたとみるべきかもしれません。

 しかし高千穂町長は平成25年度中に、「撤去か活用か」の方針を具体的に打ち出すことにしています。台風災害以来8年間、これまで町といろいろと折衝してきて、ついにこの夏、「鉄橋越え実証実験」にまでこぎつけた私たち、そして大雑把に言って鉄橋利活用のポテンシャルを大いに引き出して実験を成功裏に終えた私たちからすると、高千穂町長は大きく「利活用」に向かって舵を切って下さるものと信じて疑いません。

 秋の紅葉シーズンには新たな運行形態を模索し、鉄橋越え往復運行を私たちはめざします。

 あらたな車両も整備し、無事故、無故障、徹底的な点検、線路の補修、運転士養成プログラムを導入し、皆様に安心して楽しめる鉄道公園にいたします。

 ですので、ぜひとも、たとえ天岩戸駅までの往復運行しかできない期間に来られても、恒常的な鉄橋越えの夢の実現のために、どうかお力をお貸しください。

私たちは決してあきらめません。  

2011年06月01日

三陸鉄道を訪ねて

三陸鉄道には北リアス線と南リアス線のふたつの走る路線があります。北リアス線は 岩手県最北端の久慈駅から宮古駅まで、南リアス線は釜石駅から大船渡市の盛駅まで 結んでいる。地域の人びとの通勤、通学、通院、買い物などの足として、大変貴重な 公共の器、公共の福祉として、車社会に巻き込まれながら赤字を垂れ流しつつ、それ でもけっして廃止に向かうことなく、美しい三陸沿岸や赤松の林のなかを営々と走っ てきた、すばらしい鉄道でした。
その三陸鉄道は、このたびの東日本大震災で、甚大な被害をうけました。三陸鉄道は 国鉄時代に建設されましたが、民営化のときに見放され、放棄された線路です。それ を岩手県を筆頭とする地元自治体が住民と協力して全線開通にこぎつけた第3セク ター路線です。古くは、1896年の明治三陸大津波で死者行方不明者2万8000人近くも のすさまじい被害をうけた住民のみなさんが、物資を運ぶ線路を熱望したところから はじまっています。

いま三陸鉄道は、蛮勇をふるい、かろうじて残った久慈―陸中野田―野田玉川の3駅 を震災からわずか5日後に復旧運行を開始させ、3月20日には宮古―山口団地―一の渡 ―佐羽根―田老の5駅を復旧運行させました。そして3月39日には、田老―摂待―小本 の3区間を延伸させるにいたりました。この復旧へのスピードはどうでしょう。南リ アス線は、全線が壊滅的打撃をうけているので、復旧の目処は立っていませんが、北 リアス線は分断された状態ながら、しっかりと高校生の通学の足となり、物資運びの 足となり、通院の足となっている。

このような部分復旧でありながら、彼らはここまで自己資金で復旧費用を賄い、なん と3月いっぱいまでは無料で乗客を乗せ、4月からは運賃を通常の1割‾2割引きに設定 して、大津波から生き残った人びとを毎日乗せて走っています。

あの2004年9月、台風災害によって高千穂鉄道の下流域が壊滅的な打撃をうけたと き、なぜこのような「できるところからはじめる」といった復旧をしなかったのか、 不思議でなりません。

私は三陸鉄道の本社のある宮古市に二度足を運び、望月社長や幹部の方々から話を聞 きました。望月社長は言ったものです。「多くの人が被災し、生活の足が奪われてい るときこそ、みなさんの役に立とうというのが鉄道の使命です。部分復旧は、私の独 断でやりました。でもこれからは自力で復旧するのは資金的にとても無理です。南北 全線を完全復活させるためには、マックスで180億はかかります。国や県の支援を求 めたい。私たち三陸鉄道は、かならずや全線復旧を実現させてみせます」

私は三陸鉄道の全線復旧を応援するために、「週刊プレイボーイ」5月23日号から 『被災下を走る〜三陸鉄道の奮闘〜』という連載をはじめました。連載第1回は先週 出て、おかげさまで好評を博し、第2回は今週、最終回は来週に出ます。

大地震と大津波が襲来したとき、北と南を1両編成のディーゼル列車が、それぞれ 走っていました。そのとき乗客を乗せて走っていた運転士は、どうしたのか。望月社 長はなにを決断したのか――。

そこには鉄道マンの大きな信頼と慎重な判断、そして大胆な判断がありました。
ぜひ読んでみてください。

私たち高千穂あまてらす鉄道も頑張ります!

そして三陸鉄道の全線復旧を応援します!
 

2011年03月22日

運転体験を終えて

おかげさまで、はじめての運転体験は事故もなく成功裏に終わりました。
 6名の高千穂鉄道運転士OBの方々、どうもありがとうございました。これからも同イベントつづけていきますので、よろしくお願いします。
 16名の参加者の皆様、そしてご家族の皆様、昨日は雨が 降る中でしたが、楽しんでいただけたでしょうか。またどうぞ高千穂駅に遊びに来てくださいね。
 私は福島原発の不安のなか東京の家を一歩も離れておりません。このさいだからと、たまった仕事をこつこつ片付けておりますが、4月には被災地を訪ねようと考えています。
 友人の作家やジャーナリストたちはすでに現地にとび、「筆舌に尽くせない」(ジャーナリストの弁)光景のなかを歩きまわっています。私もできるだけ早く行きたいと、いまは自分の体になにかあってはいけないので、やるべき仕事を終えてしまおうと机に向かっているのです。
 作家吉村昭氏に『三陸海岸大津波』(文春文庫)という作品があります。私はこの本に解説を書いていますが、これは明治、昭和と三陸地方を襲った大地震と大津波の恐怖を記録して、いまとなっては「予言の書」であったと驚かされます。
 江戸時代からたびたび大津波に襲われ、たくさんの被害を出してきた彼の地の実情がよくわかり、チリ沖大地震のさいは太平洋を越えてわずか三日で三陸地方に襲いかかった大津波のようすも書かれていて(このとき気象庁は津波警報を出さなかった)、つねに同地方の人たちは大掛かりな避難訓練をくり返してきました。本には「50メートルの高さの大津波」が来たことがしるされていますが、今回も所によっては同程度の規模の津波に襲われているはずです。しかも襲われた範囲が三陸沿岸に限らず太平洋岸600キロメートルにわたっている。これは日本の国土の4分の1にあたるくらいの範囲になるのではないでしょうか。大地震にいたっては、東京、新潟、長野、静岡を激しく揺らした。
 吉村氏が生きておられれば、きっと何年もかけてこの災害を記録していかれるだろうと思います。
 ぜひ、ご一読を。

 高千穂あまてらす鉄道代表取締役 高山文彦